- 2001年7月25日
- vol.08「欲望は知性を喪失させる」
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人間の歴史は、「欲望」の歴史です。
しかも、かなり、「過剰な欲望の歴史」と言っても過言ではないでしょう。全知全能の神がどうしてこういう悪辣な生命体に地球の支配権をゆだねたのか解りませんが、
もう少しましな生物が作れなかったものかと悔やまれてなりません。
生物は、生命誕生と同時に「生存本能」によって行動します。
また「生存競争」による生き残りをかけた戦いもあるでしょう。しかし、ほとんどの生物は、その本能の中に「足ることを識る」という
極めて善良な部分を内包しているのです。
ライオンの一家族は、一度にシマウマを五頭も獲ってしまおうとはしません。
自分たちの胃袋が満たされれば、それで良しとする「満足」を知っているのです。こうした、自然界ではごくあたり前の抑制本能が破壊されてしまっているのが人間です。
人間の欲望は果てしなく、尽きることがありません。
幸福になり得ない原因のひとつが、この「過剰な欲望」にあることは薄々わかっているのに、
それをコントロールする力はもち合わせていないように見えます。過剰な欲望をコントロールする機能として「知性」がありますが、
知性は、欲望の前には非常に非力です。
特に、21世紀の現代のような、「全人類強欲全開時代」とも言うべき状況にあっては、
知性は大きく後退してしまっているといえるでしょう。
科学は進歩しても人間の魂の救済は次第に遠ざかって行くようです。私は、根が怠け者で、それほど多く働きたいと思っていませんから、
競争社会においては、間違いなく落後者の部類に入ると思います。
でも、隊列を離れてブラブラ歩いて行く楽しみ方を心得ているので、
集団から遅れてしまうことに恐怖はありません。「先に行きたい方はどうぞ、お先に」というのんびりした歩調を保っています。
考えてもごらんなさい。人間の寿命など、たかが知れています。
いずれ、誰でも行き着くところに行き着くのですから、
そう焦ってみても仕方がないのではないかと思うからです。私くらいの年齢になると、人生で関わりを持った知人、先輩が
次第にあの世に旅立って行くのをイヤでも見ることになります。
中には、生前、「巨匠」「大先生」「大社長」「時の権力者」などと呼ばれた人たちも交じっていますが、
葬式が済んで十年も経てば、彼らのことを覚えている人など稀でしょう。まず、ほとんどいませんね。
必死に集めた財貨は散逸し、手中に収めたと信じた権力は他人に渡り、
もらった勲章は古道具屋の店先に並ぶのです。人の一生などというものはうたかたの夢でしかありません。
肩ひじ張って生きると要らぬ苦労を背負い込むことになります。
ほどの良さを知って、サラッと生きてみてください。
空の蒼さが心の中に沁み渡るような爽やかな気持ちで暮らしていけると思いますから。