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2001年8月22日
vol.09「こだわりを科学する」

人間に対する定義は無数に存在しますが、そのひとつとして、
人間は、「こだわりの動物」である、という見方もできるように思います。

人類発展の歴史は、また、すべての物事に対する
「こだわりの歴史」であるとも言えるのはないでしょうか。
文明の発展はたぶん、ほとんどこの「こだわり」が原動力になっているとも考えられます。
物事に対して、生き方に対して「こだわり」を持つことは、
それ自体、個々のアイデンティティー確立の原点となり得るので、とても大切なことです。

しかし、その反面、持たなくてもよいことに対して、
全人格を投入するような頑ななこだわりを持つが故に
本人はもとより、その人に関わるすべての人が不幸を背負い込むという
忌まわしさがあることも事実です。

「こだわり」は、二つの顔を持っています。
向上に寄与するこだわりと逼塞の誘引するこだわりです。
片や「発展」、片や「逼塞」という背反二律が「こだわり」には内包されているのです。

人生をより豊かに、より充実させるために知恵を使い、
工夫を凝らすことに「こだわる」のは大変結構なことだと思います。
大いにこだわりのある良い生き方をしていただきたいものです。

しかし、多くの場合、「こだわり」は、発展とはまったく逆の立場で登場することがあります。

差別や偏見は、その代表ですが、それ以外にも、わずかばかりの感情のもつれにこだわり、
長く怨念を抱くようなこともしばしばあるでしょう。
怨念になるようなこだわりをいつまでも心の内に持っていることは、
精神衛生に良くないに決まっています。
何かの事件をきっかけに怨念を生きる原動力としているという人たちも現実におり、
そこに至る心情は察するにあまりあります。大変、お辛いことでしょう。

かく言う、私も長く生きていれば、一度や二度は、
そうした心境に至りそうになった辛いことがないとは言えません。
しかし、何かの方法で、その辛い「こだわり」を解消し、昇華させる方法を模索することも、
魂の平安のために大切だと思います。
その「こだわり」が無くなってしまったら、生きるためのつっかえ棒がなくなってしまうというのでは、

あまりに悲しいではありませんか。 「こだわり」のない人生は、無味乾燥で索漠としてしまうでしょうが、
偏屈な「こだわり」は、自分自身の魂を貧しいものにしてしまいます。

人間本来の気質に基づく事柄ですから、簡単にはいかないと重々承知していますが、
できることなら「イヤな思い出」「どうしようもない失敗」
「ぬぐい去りがたい人間不信」「偏見につながる固定観念」などは
なるべく早く合理的に解決し、悪しき怨念を捨て去るようにしようではありませんか。

きっと、あなたの魂は重い鎖から解放され、新たなる新天地をめざして旅立てると思います。