- 2001年11月14日
- vol.11「逆算開運術の活用」
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人間という生きものは、ものごころついてからこの方、常に「選択」を迫られています。
朝起きてから夜床に入るまで、ありとあらゆることに「選択」があり、
たまには、衣類の「洗濯」もしなければならないという忙しさですから、これはかなり面倒なことです。
すでに、御存じのように、人間は滅多に正しい選択や判断などしていないものです。さて、そこで、今回は、軽口話として「人生の選択技」についてお話ししましょう。
もし、あなたが人生を目標にした「開運」を望んでいるなら、以下の二つのタイプが有効です。
「選択技」の第一は、人生の流れをきちんと自分で計画し、その路線の通りに忠実に歩いて行く。
その代わり、何が起きようと動じない。「我を活かす道、これより他になし。我が道を行く」。
なんて小料理屋にかかっている武者小路実篤大先生の色紙額にあるような信念で生きて行く人。
この人は強いですよ。恐れるものさらになし。
まあ、こういう人だって「不運」や「不幸」に見舞われることはあるのですが、大丈夫。
我が内に秘めた確固たる「信念」が逆境を跳ね返し、
それを機軸にして堂々たる人生を歩んでいくことができます。うらやましいかぎり。これができたら大成功。人生の「開運」、間違いなし。
しかし、私のように、「そんな、自己確信に満ちた人生なんて、とんでもございません」、
みたいな人もきっといるはずです。
どちらかといえば、信念を貫いて上野の山に銅像が立つような
立派な生き方ができる人の方が少ないのではないでしょうか。
大方の人は、事ある毎にオロオロしてしまうのではないかと思います。私は、のんき者なので、実際には滅多にうろたえませんけどね。
うろたえたって、物事は解決しないと思っているからです。
でも、誰だって、うろたえた人生なんか嫌いでしょう。そこで、私が考えたのが「逆算開運法」。
これを第二の選択技として伝授いたします。
泣いても笑っても、いずれ、人間はあの世とやらに旅立たねばならないという
「宿命」を逆手にとる方法です。
早く言ってしまえば、いずれは誰にも死ぬ日が来るのだから、
それを自分勝手に想定してしまおうという試みです。
あらかじめ、「自分は何才まで生きると仮定して、何才まで
に何をこの世で仕上げておくか」と
人生の自己仮説を構築してしまうというやり方です。例えば、私などは先祖の平均寿命から算定し、戦後の発育期の栄養不良を考慮に入れて、
また、医学の進歩も期待しつつ、まあ、72才がいいところであろうと推定するわけです。
あの・・・すいません。これは「金さん、銀さんごっこ」ではなくて、洒落なんですからね。
真面目な顔して百才なんて推定しないでくださいね。
せいぜい70代くらいまでが「私小説」として美しいんです。
実証できるかどうか何てことは、あんまり意味のないことです。
案外、こういう「早死待望論」みたいなことを言っているヤツが
ずうずうしく98才まで生きたりするんですけどね。
そう、そう、町内にそういう爺さんがいましたっけ。心理学では「早く死にたいと言う奴ほど長生きしたい奴」というウワサがあるくらいです。
でも、このように寿命を推定すると「世の中の仕事は 60才ぐらいには仕上げて、
後の残りの12年はブラブラして暮らしたい」という心組みができ上がります。
なぁに、これだって、「60才定年宣言」なんて言いながら、
実は、働けるところまでトコトン働いちゃうんでしょうが、
そう、思い込むだけでもホッとするではありませんか。世の中で頑張って仕事をする気持ちを社会や制度が決めるのではなく、
自分で決めて、後は余生を楽しむことに専念する心持ちになることです。この国の老後の年金制度は極めて頼りないので、
年金に頼らずに余生の12年間を生き抜くと言うことは、かなり至難の技でありましょう。
仕事をやめれば途中で野たれ死にしてしまうかもわかりません。
でも、たまたま買った宝クジが当たって飲めや歌えでいつまでも生きてしまうかもしれません。
私は、後者の方が好きです。
とりあえず、かつ、ひたすら、自己推定寿命までは、
「おもしろおかしく生きる努力」をしてみようではありませんか。
自分の老いを追って、死を恐れて生きるのではなく、寿命を迎え撃つくらいの覚悟で生きると、
一日一日がとても大切に感じられますし、時間を充実して使えます。
死に至るまでの年月や日数を数えて、溜め息をつくよりも、
死ぬ日から逆算して自分に与えられている時間を有意義に生きる方が、
どんなにか楽しい毎日を過ごせます。読みかけの本をバタリと閉じたような、突然の人生の終わりが来たとしても、
日々を快活に生きた人はたぶん、ニッコリ笑って「あの世」と言う、
次のイベント空間へ旅立てるのではないでしょうか。さて、あなたは自己推定寿命をいくつにしてみますか。