- 2003年9月24日
- vol.19「鎖を断って輪の外へ」
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ホロスコープなどという天体図を観ていると、
イヤでも地球を宇宙から眺める俯瞰思考が定着してしまいます。
要するに「地球は青かった」的な超客観的なものの見方が出来上がってしまうのです。こういう立場で、歴史をみることを「宇宙史観」と私は呼んでいます。
人類の歴史はいろいろな観点から論じられてきましたが、
どの立場に立って歴史をみるかで、解釈がまったく異なります。
宇宙史観というのは、いかなる思想、主義、宗教、民族など思惑に組せず、
ただ、天空から地球で起こっていることのありのままを観察するというやり方です。人類の歴史のかなり永い時代は「封建主義」「王政」でしたね。
いつしか、これに対抗するものとして「共産主義」「一党独裁」が現れましたが、
早い話、これもまた、一種の封建主義で、王政でした。
したがって、これも崩壊してしまいました。今、この地球上で一番威勢のいいのが「資本主義」「金権至上主義」です。
この世界には冠をかぶった王様も絶対権力の書記長もいませんが、
「お金」そのものが王様です。隠れていて直接姿は見えませんが、世界一の大富豪という人が皇帝で
後は、お金を持っている額によって順位が決まるという制度です。
まあ、最下位は、お金に自分自身を売り払ってしまった人が奴隷として存在するわけ。資本主義は自由主義ともいい、いかなる人にも自由に稼ぐ、
均等の蓄財の機会が与えられているのですが、これは、あくまでも建前ですね。
現実の世の中が決して平等でないことは論を待ちません。
日本国憲法が、国民の自由平等の権利を保障しているのと同じで、
権利を保障していても実際の生活の面倒をみるわけではないのです。神様が人間に与えた「平等」は「時間」だけです。
後はメイッパイ不平等に作られているので、どんな制度、どんな主義の時代が来ようとも
完全平等などということはありえません。したがって、この資本主義の制度を是として生きるならば、
もう「守銭奴」と呼ばれようが「人非人」と呼ばれようが、お金を稼いだほうが偉いわけです。
すでに世の中は、そういう様相を示しています。
「人に頭を下げるのではなく、お金に頭を下げるのだ」という商人訓みたいなものが
すべての基準になっています。「愛はいらない金をくれ」的な雰囲気が蔓延してしまったのです。
「金権絶対主義」の時代がどのくらい続くか解りませんが、決して人道的な制度とは言いかねます。
良くない制度ですから、やがていつの日か滅び去ることでしょう。
でも、それまでは、封建時代に封建制度の中で生きた人があったように、
私たちは、この金権制度の中で生きていかなければなりません。「満たされることのない飢餓感」にさいなまれながら生きていくのは、かなりつらいことです。
わずかな金銭のために他人を殺傷する凶悪犯罪が頻発するようになったのもいたしかたないことです。
これから、もっと殺伐とした世の中になることは、占い師でなくでも想像がつきます。
実際、すごい世の中になりましたよね。さて、「占い師」というのは、本来、聖書の中に出てくる「鳥」のようなもので、
落穂を拾って生かされている生き物です。
居てもいいし、居なくてもいい、でも、居ればいただけの役には立つ。
どこまでいっても、存在そのものが風のように希薄です。ほとんど脱力体勢で暮らしているので、
真正面から今日的な金銭収奪闘争に関わる気力がありません。
初めから金権階級闘争から脱落しているのです。
経済観念のしっかりしている占い師なんていうのは、なんか嫌味じゃないですか。タロット・カードの「0」の札は「愚者」といいますが、
まあ、あれが占い師の理想像ですね。その日暮らしが基本です。
子孫のために必死で金を貯めている占い師というのは、どう考えても美しくないですよね。吹けば飛ぶような存在のほうが、占い師としてはロマンチック。
そのくらいの軽い気持ちで生きていくほうが、案外、落穂にありつきやすいかもしれません。「金が敵(かたき)の世の中」で、身の不運を呪っている人がいるなら、
それはお辛いことでしょう。同情いたします。
そういう時には、私のような「愚者」を思い出し、制度の鎖を断ち切り、
その輪の外へ一歩踏み出してしまわれてはいかがでしょうか。「お金はあればあるで楽しい、無ければなくてもまた楽しい」気持ちになれます。
幸福に生きるということは、他人の作った制度や基準で生きることではなく、自分の基準で生きることです。
お金に精神を縛られているうちは、心の飢餓症状は治りません。たぶん、私はアホですから、生涯、輪の外にいる「愚者」で終わることでしょう。
でも、そのおかげで心を売り渡すようなまねをせずに済むのは、まったくありがたいことと思っています。