- 2003年12月17日
- vol.20~番外編~「『聞く』能力が心を開く」
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21 世紀は情報革命の時代ともいわれ、情報伝達の技術が著しい進歩を遂げております。
すでに携帯テレビ電話も一部の人たちの間では利用され始めているのはご存知のとおり。しかし、その一方で、人間関係の円満な交流がスムーズにいかなくなっていることもまた事実です。
情報伝達機器は進んでも、それを上手に使いこなすべき人間のほうが
伝達機能において退化しているのではないかと思われることもあります。そこで今回は、対談者に「納得してもらえる」話し方や、聞き方について、
カウンセリングの技法を取り入れて、お話しすることに致しましょう。私たちは年齢を増すごとに、次第に頑迷になる傾向があります。
もちろん、中には、加齢と共に非常に物分りのいい、円満なご性格になられる方もありますから
一概には申し上げられませんが、一般的に、頑固で気が短くなるようです。
特に、ご自分が社会的に成功をおさめている方には、この傾向が強く出ると考えられます。その原因のひとつに、その方固有の「成功方程式」が挙げられます。
自分の成功した勝利方程式が普遍的に誰にでも当てはまるように感じられますので、
いかなるテーマ・ジャンルでも、その方程式に導こうとなさいます。
悪く言ってしまえば、「我田引水」に終始することになります。人の話を聞く場合には、特に年齢の若い方の話を聞く場合には、
ご自分の「成功方程式」をいったん脇においていただきたいのです。そして、まず、相手の話を渾身、耳を傾けて聞いてください。
相手が話をしている間は、口を挟まないこと。
人の話は、最後まで傾聴することです。
人の話を聞いているうちに、自分自身の意見や反論が心の中に湧き上がってきたり、
喉まで出掛かることがあると思います。でも、人の話を聞きながらすぐに反論を用意するのは、正しい聞き取り方ではありません。
話を聞くということは、明らかに「話を聞く」ことに主眼があり、
即座に反論の材料を探ることではないのです。
当然、聞き手側にも意見、反論はあるでしょう。
しかし、聞いている時は、話している人の話の内容に心を傾け、
その人が何を言いたいのかを相手の立場に立って聞き取ること。
これがなによりも大切、重要なポイントなのです。初めは、なかなかこういう聴き方はできないものです。
ご自分は頭の回転が速いと思っておられる方ほど、人の話を聞かない傾向があります。
それは、すぐに自分の意見が前に出てくるからです。
こういう聞き方ですと、相手の心を本当につかむことはできません。
聞くべき時には、相手を尊重し、聞くことだけに集中するのが、正しい聞き取りです。
心理カウンセリングでは、このように心を傾けて聞き取りを行うことで、
話し手との間に信頼を深めていきます。
相手を「受容」して、「共感」することで、心が通い合うようになっていくのです。同様に、相手に対して、自分が話をする場合には、次のことが大切なポイントになります。
まず、声の調節が適切かどうか。
語調が高圧的でないかどうか。
これを考えていただきたいと思います。聞き取りにくい発声、早口は相手を戸惑わせるばかりで心を開く暇(いとま)を与えません。
また、語調が権威的、高圧的だと、相手は萎縮し、初めから心を開きません。
表面では頭を下げていても、心から納得するということはまずないのです。専門用語や外来語の多用を避けることも大切です。
自己の特化性や権威性を誇示する目的として、
専門用語、外来語、漢語、成句、四文字熟語などを頻繁に用いる方がいらっしゃいますが、
これは、本人が意図するところとは逆に、
ただ、相手に話の内容を理解されないという現象を招くだけです。一歩踏み込んで言うならば、会話における難語は自己満足に過ぎないということ。
平易な言葉で、誰にでも理解できる言葉で話すことが基本です。対談する相手に対して先入観を持たないことも重要です。
人間は、加齢するごとに、自己の体験や情報蓄積によって、
ややもすれば、差別と偏見を持ちやすいものです。
先入観は正しい判断を歪める最も大きな要因です。
相手の年齢、学歴、職業について、
勝手な思い込みによる仮想人物像を作ってしまわないことが大切です。いよいよ話をするときは、話の骨子、重要な結論を最初に提示し、
その理由を明快に解説するスタイルが効果的です。
良識に照らして合理的な判断を示すことも、納得してもらうための鍵となります。
相手の自尊心に思いをいたし、一切の差別意識に繋がる言葉を排除するのが賢明です。
また、できるだけ命令下達の形式を避け、丁寧な依頼語を用いることも重要なポイントとなります。そして最後に、話題そのものも悲観論に終始させず、常に肯定的な未来のヴィジョンを描くことも、
対話を建設的なものにする大切な要素です。心を傾けて聞き、誠意を持って話す。
私自身も「思えども至らず」の日々ですが、今後とも研鑽してゆくつもりです。★ 2003年11月実施、ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベの講演より。