- 2017年4月24日
- vol.32「澤天夬の決断」朝風かおる
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皆さんこんにちは。朝風かおるです。
今年に入ってから、易に興味を持って勉強し始めています。
易とは東洋占術のひとつで、
筮竹(ぜいちく)を使って占うもの。
筮竹を一定の方法によって操作し、
出た結果を算木によって表し、判断します。一昔前までは、手相と共に街占などで見かけた方も
多いのではないでしょうか。易に興味を持ったのは今年初め、
幕末の思想家・佐久間象山と易とのエピソードを聞いてから。
佐久間象山は行動に迷ったとき、よく易を立てていたそうです。
(易占いをすることを、“易を立てる”と言います)象山は晩年その見識を見込まれ、
一橋慶喜公に招聘されて京都に赴くのですが、
その際に、弟子に請われて旅の吉凶を占った卦
(けと読みます:易占いの結果のこと)が
澤天夬(たくてんかい)の上爻(じょうこう)でした。この卦は凶兆で
「泣いても叫んでも、誰も(神様でさえも)助けてはくれない。
危険な場所には行かないほうが良い」という意味だそう。
幕末の動乱のために物騒な場所となっていた当時の京都には、
行かないほうが良いとの卦です。
しかし、この卦を得ても象山は少しも騒がず、
「この卦を得て上京が凶であることはわかった。
しかし既に一橋公と約束してしまったので、慎重に行動するしかない」
と言って旅支度をして上京、そして凶刃に倒れてしまうのです。このエピソードを聞いて以来、易の世界の奥深さに惹かれて
ちょこちょこ調べています。また、易とは関係ないのですが、このエピソードは
占術全体に言える心構えが入っていて、考えさせられます。しなくて良いことなら避ければ問題ないですが、
エピソードの象山のように、人は時々
覚悟して火中の栗を拾わなければならない場合が出てきます。
進むべきでないと占いで出ても、進まなくてはならないときもあります。
「行かないほうが良い、やらないほうが良い」とわかっていることを
しなくてはならなくなったとき、人はどう対応するか? ということ。また、それほどの大事ではないですが、
占術家がよく聞かれる質問に
悪い運気のときの過ごし方があります。
運気というのは良い時期悪い時期がありますが、
悪い時期に入ったからといって家に引きこもるわけにも行かないもの。
(お仕事とかありますしね)
更に、そういう時期に限ってトラブルに巻き込まれたり、
大変とわかっているのに役を引き受けなくてはならなくなったりする場合も
多々あります。そのときはどうするべきか?
あえて火中の栗を拾うなら、
① 「苦難の道はいつまで続くかわからない」と肝に銘ずる。
② 力不足の運気であることを念頭に置き、頼れるときは人に頼る。
③ 初対面の人と会う場合は、慎重に相手を見極めておつき合いの程度を考える。
④ 大きな買い物をするなら、修理費などの予定外支出のことも考えておく。
⑤ 自分の言動の影響を常に考える。
特に自分が大切にしている部分(家族や職場など)への影響を、念頭において行動する。
沽券に関わるなどと言っていないで、場合によっては自分が折れる、頭を下げる覚悟をする。
⑥ 運気の悪い時期だから楽しいこと喜びごとはダメ、ということはないが、
天狗にならないよう、ほどほどにしておくくらいの謙虚さを持つ。要は常にリスクを考えて行動する、ということですね。
注意ばかりしなくてはならないので多少窮屈な思いをすることになりますが、
不運を怖がって家にこもったり、トラブルを恐れて踏み出せず後悔したりするよりは、
ずっと建設的だと思います。佐久間象山のように、凶が出たからと言って
命に関わるほどのトラブルに巻き込まれる人は滅多にいません。
しかし凶兆が出るときは、いつもより判断が甘くなったり
難しい状況に置かれているのに気付かなかったり、
トラブルの種になりうる要素が潜在している場合が多いものです。占いで思わしくない結果が出た場合、または運気の悪い時期に入った場合、
むやみに怖がるのではなく、その問題に関して自分の力が足りないのだと思って過ごしましょう。
そのほうがリスク管理はしやすく、結果として凶を回避できると思います。